わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

母の遺産相続で思うこと

2020年12月 母の後見人の弁護士さんより母の「財産の引き継ぎ」についてのメールがわたしと弟宛に届いた。 現在母の遺産は僅かな額で後見人の報酬を差し引くと母の火葬代にも満たない額。 しかし、それでも遺産は遺族に相続されるのだが、その相続人がわたし…

「盗られ妄想」の思い出

母はアクセサリーが好きだった、と言っても高価な物などではない。 私が幼い頃の思い出の中ではよく母のお気に入りのアクセサリーがガチャガチャと詰まった箱を開けては眺めていた母の姿がある。 そんな性格ゆえなのか、母の盗られ妄想が出てきた頃(もちろ…

母のノート

記憶が曖昧になった母は“メモ魔”になっていたようだ。 でも、数冊あるノートのうちきちんと使い切った物はほとんどない。 これはその中でも、全然使ってないじゃん!と思うノート。 ノートの書き出しに「2010 (平成22)」とあるから、その時に書き始めたノ…

追記(2020/11/15)

母が亡くなる記事まで、約一年以上このブログは投稿していなかったのか。 母の事で大きな変化はなかったけれど。 話しは前後してしまうけれど、備忘録として今後投稿していきたいと思います。

間に合わなかった最期

2020年11月6日、午前9時。 母が永眠しました。 享年71歳。 母の容態が急変した、と入院先の病院から電話があったのが5日、木曜日の13時頃。 担当の医師からでした。 入院した時に家族の意思確認として「延命措置は行わない」としていたので、その確認と現在…

母の保護当日について (支援課のNさんから)

この日は朝から入院するまで、3人の職員の方からこまめに母の様子が知らされた。 下記は夕方になってNさんから電話で聞いた保護から入院までの様子。 ******* 7月×日 午前中 母とO氏が住んでいる所へ、警察官、区役所職員、移送する警備会社と赴く。…

支援課からの文書

木曜日、支援課のNさんから、わたしからの「手紙が届きました」と電話連絡があった。 (この日も母の住まう所へ訪問したがドアは開けて貰えず、ドア越しに母の声を確認した、と言う。 話は逸れるけど「ドア越しに母の声を確認した」ってどうやってるんだろ…

考えても分からない

先週の高齢・障害支援課のNさんとその係長Oさんとの電話でのやり取りを踏まえ、改めて今回の母の保護と移送について考えてみた。 ******* NさんとO係長さんとのやり取り、そしてわたしと夫の考えはその日のうち(先週の金曜日)に弟にも伝える。…

“条件”とわたしの気持ち

6/20に高齢・障害支援課のNさんと電話、その翌日の21日には係長のOさんと電話で話した事を踏まえ、わたしは夫と母の保護について話し合った。 ▪夫の見解と意見 【ドアを開けさせるには】 母の保護をする7月Xデー その日は警察が母たちが住まう所に訪ね【ドア…

拭いきれない不信感

2019/06/21(金) 【K区福祉保健センター係長Oさんとの会話】 この日、朝一で福祉保健センターの上層部の方と今回の母の保護について話しをしたいと問い合わせの電話をした。 こちらの“課”の仕組みがよく分からないので“課長”さんをお願いしたのだが、電話口…

不信感

今朝、K区の高齢・障害支援課のNさんと母の保護について電話で話をした。 Nさんは「お願いがあります」と切り出し、母を保護する当日に私か弟から支援課に「母の事が心配なので」と電話が欲しいと言った。「形式的なことなんですけど」とも言っていたが、要…

支援課の方から聞いた母の様子

(前回の記事内容と重複するけれど、備忘録) 2019年 3月半ば 医師と共に支援課の方が母を見たとき。 母は他人から体に触れられるのを嫌がる様子があったとの事。 医師が血圧を測ることも不可能。 そして、室内をウロウロと動く行動。 トイレも一人で済ます…

K区役所 高齢・障害支援課より 母の現状について

2019/05/19(日) 弟から現在の母について、K区役所(現在母がO氏と住んでいる)の高齢・障害支援課のNさんから連絡があった、と電話がきた。 去年10月に同区支援課のTさんからの連絡から約7ヶ月経過。当時担当だったTさんから今日電話で話したNさんに担当が…

母の異性関係A氏について

母の異性関係について、もう一人の“A氏”を記録として残しておきたいと思います。 母とA氏の出会いは、1998年、わたし達親子3人で家を出た頃(母がストーカーと化した父から身を隠すため関東で住み込みの家政婦をしていた時)、東京へ戻る新幹線の中でに出会…

警察から母を保護してるとの電話があった日

タイトルが大それた感じだけれど、この時は本当にビックリしたし、結婚した弟がたまたまお嫁さんを連れて我が家にやって来ていた日だったので「何たる偶然!?」と全員でビックリした出来事だった。 当時の日記から改めて投稿します。 ****** 2015/10/…

2011/12/28 スマホのメモより

スマートフォンのメモに下記の内容が保存されていたので、改めて投稿。 当時、これらの出来事をメモしておいてよかった。 記憶違いの点など再確認できた。 今まで投稿した日記と重複する内容ですが、わたしの当時の記録として改めて投稿します。 -----------…

母がアルツハイマーを発症してからの覚え書き

今年(10/15)保健センターのTさんから連絡があったのをきっかけに、母との今までの事を時系列にまとめてみた。 他にも思い出したりしたらその都度【追記】として記入していきたいと思う。 ---------- 〈2007年以前〉 ○趣味のフラダンス教室で「踊りを覚えら…

日記回想(15)2011/12/12

これが母と我が家で同居していた約3ヶ月間の日記。 この後クリスマスイブの24日にO氏に私が騙され、母を連れ去られる事になる(このブログの2018/01/08の記事へつづく)。“連れ去られる”とは語弊があるかもしれないけれど、当時の私はそう思っていた。 **…

日記回想(14)2011/12/12

この出来事も忘れられない。 「物盗られ妄想」 本当にショックでした。 後にこの言動がエスカレートするなんて思ってもいなかったけれど。。 誰かに対して攻撃的になるというのは認知症でよくあるようですが、そういう時に人が変わったようになった母の目つ…

日記回想(13)2011/12/10

この日の事は今でも鮮明に覚えている。 そして、この日から既に7年が経過している。 医師からの説明があった「発症してから約10年」という区切りをもう迎えようとしている。 先日聞かされた現在の母の様子は、全くこの通りなのではないか。 ****** 『1…

日記回想(12)2011/12/02

誰だって、雨が降っていたり曇っていたら快晴の時よりも鬱々としちゃうよね(苦笑) ****** 『多分 “母の気持ち” に “天気” って、何かしら影響があるような気がしてきました。 “鬱”とまではいかないけれど、天気がイマイチだと母の気持ちは落ち込むよう…

日記回想(11)2011/12/02

多分、これよりも以前から母は“私”に対しての悪口を私ではない誰か、に言うことが増えていたんだと思う。 そういう事は認知症では見られる事では無いのだろうか?と今なら思える。 でも、当事者の気持ちはそう簡単に割り切れる物ではない。 ****** 『…

日記回想(10)2011/12/02

『11月。「認知症を正しく知ろう」という講話を聴きに言った時。 私は、会場で半数以上を占めている年齢層を見て驚いた。それは、母と同じか、または母よりも年齢がやや上の方々だったからだ。中には、私のような年齢の方もいたけど、それでも“ふたり”くら…

日記回想(9)2011/11/27

この「帰ります」という母からの電話は今までになかった展開だったから、この時は物凄く焦り、驚いた。(どうしよう…)という思いしかなかった。 ****** 『11月初旬。この日は午前中から用事があって、母をひとりで長時間留守番させていた日だった。…

日記回想(8)2011/11/21

今でも母が通所していた施設の送迎バスを見かける度に色々な事を思い出します。 ****** 『“デイサービス” 「要支援・要介護の方を対象に、食事、入浴、レクリエーション、排泄、機能訓練を行う介護施設サービスのことを言います。自宅に閉じこもりがち…

日記回想 (7)2011/11/21

当時、息子が活動していた団体の保護者の中で“ケアマネージャー”をしている方がいて、その方にアドバイスしてもらったケアマネのIさん。落ち着いていて頼れる雰囲気の女性でした。 また、この時の日記からはまだ私がこの先母の介護で精神的にも追い詰められ…

日記回想(6)2011/11/20

今、思い出してみると当時の大変さを思い出す。 そして、懐かしくさえ思う。 ****** 『“介護”少し前の私には縁遠い言葉だった。そして、そのイメージは「寝たきりの老人に食事を与えたり、排泄のお世話やリハビリのお手伝い」というくらいしか想像でき…

日記回想(5)2011/11/19

先日“若年期認知症の集い”に母と行ってみた。 “認知症”と言うと大抵が“高齢者”というのが前提らしい。 母はまだ“高齢者”ではない。 じゃあ“若年期”って、何歳?「40歳以上65歳」というのが認知症界の“若年期”らしいから、やはり母は“若年期認知症”なのだ…

日記回想(4)2011/11/15

夫からの一言にどれほど救われただろう。 家族が病気になった時、残った家族の思いやりや優しさがどれほど励みになるだろう。 義理の母になる私の母について、そう言ってくれた夫には感謝しかない。 ****** 『母の病気が決定的になったとき。 救ってく…

日記回想(3)2011/11/14

この日の出来事に私は「あの時はごめん」と付けている。読み返すとその気持ちは大きくなる。 不用意な言葉で母を傷つけてしまったのだから。 ****** 『母を 「おかしい」 と感じたのは、2年ほど前。 でもその事実を知ったのは、いとこからの電話がきっ…