わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

間に合わなかった最期

2020年11月6日、午前9時。

母が永眠しました。

享年71歳。

 

母の容態が急変した、と入院先の病院から電話があったのが5日、木曜日の13時頃。

担当の医師からでした。

 

入院した時に家族の意思確認として「延命措置は行わない」としていたので、その確認と現在入院している所では処置に限界があるとの事で親族にどうするか確認する為の電話だった。

 

延命措置はしないまでも、そのままにしておく訳にもいかず、とりあえず提携先の総合病院へ搬送される事になった母。

 

15時頃には総合病院へ搬送され、検査及び処置を施されるも大きく下がった血圧、採血もままならず、不調の原因を探る事もできなかった。

 

夫に促され、私は一泊するつもりで荷物をまとめ母の入院先へ向かう事にしたけれど。

 

新型コロナウイルスの影響で非情にも「面会不可」だと言われる。電話応対した女性看護師の冷たい口調に心が潰される思いがした。

「要するに“死んで”しまわないと会えない(面会)のですね!?」

と訊ねると

「そういう事になりますね、ごめんなさい」

と言うが心のこもらない謝罪の言葉ほど人を傷つける物はないのだなと実感した。

 

それでも翌日には母の元へ向かおうと思い、何か連絡があるかもしれないとスマホを眺めながら床についたのが真夜中の12時。

 

朝方4時。

愛犬の排泄の催促で起きる。

気にしていたスマホを改めて見ると1件の留守電。

男性看護師が母の急変を伝える電話であった。

と、同時に弟夫婦からも連絡がある。

弟夫婦の元にも病院から連絡があり、血圧が急激に下がっているので面会に来ては?という連絡だったそうだ。

4時頃弟夫婦は母の元へ到着していた。

 

私たち家族も5時半に車で母の元へ向かう事にした。

 

 

高速をひたすら走る間(私たちが到着する約2時間前)に母は息を引き取った。

 

病院の霊安室に安置された母はきれいに化粧を施され、安らかな顔をしていた。

頭を撫でるとまだ温もりがあった。

 

9年ぶりに再開した息子たちは、母のあまりの変わりように絶句していた。

 

お母さん、間に合わなくてごめん。

電話に気づかなくてごめんね。

どんな意識にあったかは分からない。

けれど、まだ意識のあったであろう時に弟夫婦が声を掛ける事ができたのは幸いだったと思う。

たった一人でこの世を去ることがなくてよかった。