わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

母の保護当日について (支援課のNさんから)

この日は朝から入院するまで、3人の職員の方からこまめに母の様子が知らされた。

下記は夕方になってNさんから電話で聞いた保護から入院までの様子。

 

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7月×日

午前中

母とO氏が住んでいる所へ、警察官、区役所職員、移送する警備会社と赴く。

これまでも「区役所職員」が訪問してきた事が分かるとドアを開けなかった為、この日は警察官が名乗りドア開けるように言う。すると素直にドアが開けられた。

ドアが開き、室内に入り、母とO氏はそれぞれ別々に担当者が対応した。

 

職員が室内に入ると母はベッドに横になっていた。

衣類は上半身に白っぽいシャツ、下半身は紙パンツのみ。そのパンツもパンパンに膨れておりこまめに取り替えられていない事が見て取れた。

その母を毛布で包み、抱えて車まで連れていく。

玄関に母の物と思われるような靴は見当たらなかった。

その間わずか10分程度。

 

 

そこから市内の精神科の病院へ車で移動。

そこで看護師3~4人で母を宥めたりしながら着替えさせた(この間抵抗などをした)。

そして医師の診察。

広さは6畳程の部屋。

医師の机がある程度。その中を落ち着かずにうろうろとする。

いわゆる「長谷川式」と呼ばれる認知症の検査は不可能。

 

 

母の外見は足にぶつけたような、つねられたような痣が3箇所(写真撮影済)。腕にも同じような痣が少し(治りかけのような黄色っぽい痣や青い物も)。

仙骨付近に擦れたように赤くなっている箇所がある。“床ずれ”というよりも紙パンツなど長時間穿いていてもこのような症状になる事があるそう。

頭髪は“スポーツ刈り(坊主)”のように短く刈り込まれていた。(Nさんは「野球する男の子のような」という表現をし、さらに「女性なのに短く切られていてショックでした」って言ってた)

 

母は「トイレに行く」などと言うが、いざトイレに行っても便座に座る事ができない。

 

 

今後の事など、諸々の手続きも含め支援課の職員と面談できるよう調整する。

 

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ここまでが16時過ぎに支援課のNさんから電話で聞いた母の保護と入院までの経緯。