「盗られ妄想」の思い出
母はアクセサリーが好きだった、と言っても高価な物などではない。
私が幼い頃の思い出の中ではよく母のお気に入りのアクセサリーがガチャガチャと詰まった箱を開けては眺めていた母の姿がある。
そんな性格ゆえなのか、母の盗られ妄想が出てきた頃(もちろん初期段階の頃は“盗られ妄想”という言葉すら知らなかった)は、よく「アクセサリーを失くした(または置き忘れてきた)」と電話で言われる事が多かった。当時の私は本当に母が失くしたと思っていたし、ある時母からの電話で「お店に修理に出したのに返されていない」などと言われるとそんな事は信じられないし、そそっかしい母の事なので「どこかにあるよ」と言うしかなかった。
このメモには特に母が思い入れのあるアクセサリーについて書いてある。
母はよくこれらのアクセサリーを「○○○に忘れてきたかなぁ」等と言う事が多かった。そして大抵の場合は本当に置き忘れていた事が多かった。
ただ、ある時期を過ぎると(多分我が家での同居が始まる直前頃から)「○○○に盗まれたかも」と言い出すようになった。
初めてその言葉を聞いた時はショックだった。
以前の記事にも書いたと思うがデイケア先で「私が盗んでる」とスタッフの方に言ったからだ。
送迎を担当して下さるスタッフの方からそれを言われた時のショックは今でも深い傷になっている。
このメモの日付は2011年7月
同居の為、我が家へやってくるほんの2ヶ月くらい前のメモだと思う。
このメモは母がメールでのやり取りを書きとったものらしく、先方からの返事なのか「私は盗んでません」とある。しかも、特定の名前がありその方(とはどんな関係なのか知らないけれど)へメールを送信したり、電話をかけていたようだ。
家族でさえショックな「盗られ妄想」、病気の事を知らない他人にまでそんな事を言っていたのだとしたら、本当に申し訳なく思う。
母が特に大切にしていたアクセサリーがどこにあるのか知る事はできない。本当にどこかに置き忘れてしまったのかもしれないし、Oの元にあるのかもしれない。
認知症の症状の一つに「盗られ妄想」という事があるけれど、実際に体験すると笑い事で済まされる経験などではないのだ。その言葉を見聞きする度に胸に苦い思い出が蘇り、あの時の鬼のような母の表情を思い出す。