わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

日記回想(3)2011/11/14

この日の出来事に私は「あの時はごめん」と付けている。読み返すとその気持ちは大きくなる。

不用意な言葉で母を傷つけてしまったのだから。

 

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『母を

「おかしい」

と感じたのは、2年ほど前。

でもその事実を知ったのは、いとこからの電話がきっかけだった。

 


当時、母は甥(いとこ)に体が不自由ないとこの母(母の姉)のお世話を頼まれていたらしいが、その約束を忘れてしまっている、という連絡があったのが始まりだ。

 


さらにそれと前後するように、確か暑い夏の季節だったと思う。

店番をしている時に母から携帯に電話があった。

「道が分からない、、、」

 


今思えば皮肉な事に当時、母は“ヘルパー”の資格を取り、働き始めたばかりで介護をする家へ自転車で向かっていたらしいのだが、その家を探せない、というのだった。

「前にも行った事があるのに、、、」

 


電話の向こうの母の声は、ショックと驚き、そして「勤務中なのに」という焦りでパニックを起こしているようだった。冷静さを欠く母にワタシは動揺を隠しながら

「仕事場に連絡してみて」

と言うのが精一杯だった。

すぐにでも駆けつけてやりたいが、そんな距離ではない。

新幹線で1時間以上もかかる場所なのだ。

 

 

 

××××××

 


そして、母に来てもらって病院を受診しようという事になった。

病院へ行く前。

やはり、母はふとしたことを忘れている。

物の置き忘れは日常茶飯事だったけれど、あるとき

「お昼ご飯、食べたっけ?」

と。

その一言に

「ちょっとぉ、食べたよ~。こわ~い!」

と言ってしまったのだ。

 


そして、母は涙を流し

「だって、覚えてないんだもん」

 


私は絶句した。

 


言い訳がましいが、そんなテレビのドラマかお笑いコントからでしか聞いたことがないようなセリフを母の口から聞くなんて、心の底から“ゾッ”としたのだ。

(信じたくない、でも、、、。)

 

 

 

そして、受診したのが“もの忘れ外来”。

テレビで見たことがある“テスト”。

そんなテストをひとつひとつ受ける母を見ていると私の心のモヤモヤが確信へ変わっていった。

 


(お母さん、本当に病気なんだ)

 


そして、医師に

認知症の疑い」

と告げられた。』