日記回想 (2)2011/11/11
『“認知症”
母の現在の症状は
「記憶にとどめておけない」
ということ。
“新しい出来事”、“約束”、“日時”など。
生活していく上で(意識しているようでしていない事柄なのだけれど)それらを記憶しておけない、ということが
「どれほど重要で、かつ日常生活の基本になっているのか」
と、思い知らされる。
そして人間は
「同じ事を言う」
のが本当にイヤなんだな、とも感じるのだ(苦笑)
幼いこどもに
「さっきも言ったでしょう?」
と言う。
それは“こどもの成長”という“未来”へつながるけれど、認知症に未来は見えない。
同じセリフを母に言った所で、何も解決されない。
「そーだっけ?」
と言われ、また同じ問いを投げかけてくるのだから。
腹を立てるだけ、ソンなのだ。
ならば、どれだけ繰り返してやれるのか、自分の忍耐力を鍛えるべく、気持ちを切り替えるしかない!(笑)
「今日は何日?」
「○月○日」
「こどもたちは、何時に帰ってくるの?」
「夕方だよ」
なるべく同じ調子で返答してやるのだ。
そこには、少しの演技力も必要になってくる。
初めて言われたかのように、何気なく、さりげなく応えたほうがいい(苦笑)。
そして、家を空けるときはメモ紙に大まかな事を書いて置いて行く。
「家族の帰宅時間」
「お昼のごはんが炊けること」
「して欲しいこと(お風呂を洗って、とか)」
などなど。
今の母は、
“書置きを見る”
という事ができるので
“分からなくなったらテーブルの上のメモを読み返す”
ようで、一度は、私が書いたメモの中に
“OK!”
などと、やったことに印までついている時があった。
でも、こんな事もあった。
「お風呂を洗って」
というメモを見て“浴槽を2度洗ってしまった”ようだ。
「お風呂を洗った」
という自分の行動を記憶できていないから起きた“念入りに2度も風呂掃除”という結果になってしまった。
そんな事実を知っても、まだ私たち親子は“笑いあう”ことができているから救われる。
「上を見たらキリがない、下を見ればめまいする」
母が、よく言っていたセリフ。
“今”を健やかに、楽しく過ごせればい~のだ。』