夜逃げしたわたし達家族と当時の生活
これまではわたしのごく最近に起こった嫌な思い出を綴ってきた。
今日はわたしの父について少しずつ掘り返してみる。
わたしの父は五人兄弟の末っ子として田舎のそこそこ裕福な家庭に生まれた。
わたしが父について覚えている事、そして体験した事は本当に沢山ある。
まずはわたしが生まれる頃。
もちろんこれらの話しは母から聞かされたこと。
当時父は今で言う所の若者向けのカジュアルな衣類を販売する店を開いていたらしい。そこで母と出会い、わたしが出来た事で結婚に至る。
お店は当時そこそこ繁盛したらしいが長続きせず、夜逃げ同然に父の実家へ家族共々居候する事になった。
当時農業と養豚をしていた父の実家での生活は父の両親と兄夫婦その子ども3人の計7人暮らし。そこへ居候する事になった両親と幼いわたし達3人はとても肩身の狭い思いをしていたらしい。
母がこの頃の事でよく言っていたのは兄嫁の意地悪とその3人のうちの一人の息子(長兄)の事だった。
仕事もなく夜逃げ同然で実家に戻ったわたし達家族に風当たりが強いのは仕方のないことだろうし、田舎特有の近所の目も当の家族にしたら耐え難いことだったろうと思う。
兄嫁(わたしにしてみればおば)は言葉もキツい人だった。
そんな兄嫁に母はよく嫌味を言われ、わたし達の夕ごはんには、おかずもなく白米だけ出された事もあると言っていた。そんな露骨な嫌がらせなんてテレビドラマだけの話しではなかったようである。
またそのおばの3人の子どものうちの一人は当時中学生位であったのだろうか。まだ1歳ほどのわたしがぐずったりするとあからさまに嫌がり
「うるせーな」
と文句を言われたりしたと言う。
これが肉親であるなら角も立たないのかもしれないが、母の立場を思うと一時ではあったのかもしれないが、よく一緒に生活したものだと思う。
ただ、どの位の期間実家に居候していたのか分からないけれどその後は実家の側に家を借りて親子3人の暮らしが始まったようだ。
この頃の思い出を語る母はいつも
「じいちゃん(父の父)は、本当に息子(父)に甘い」
といっていた。
事業に失敗し、その尻拭いをした祖父の事を何かにつけそう言っていた。
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こうしてみるとすでに父のダメ具合は露見していたのだから、母に見る目がなかったということなんだろう。
こういう話しを聞かされていた幼い頃、わたしは母が可哀想だとばかり思っていたけれど、、、そんな事ばかりではなかったのかもしれない。
“夫婦”なんて一方ばかりが悪いということはないのだろう。