気が休まらない日々
アルツハイマーになった母とのあれこれを思い出すと今でも辛く悲しい。
当時は本当に本当に大変だった。
通院のこと。
日々繰り返される同じ質問と返事。
一人で外出してしまった事。
認知症家族の会へ参加したこと。
携帯電話の着信を見て、何度も同じ相手に電話をかけること(その都度わたしが相手に事情を説明する)。
そしてデイケアを調べ、見学し申し込んだこと。
盗られ妄想になって罵られたこと。
興奮した母が息子たちに言葉を荒らげたこと。
そんな日々の中でも“いつもの母”である時もある。
冗談をいい、できる家事をこなし、一緒に散歩に出たりもしたし、母自身は自分がアルツハイマーになったことを理解したように話したりした。
「しょうがないよね」
と。
この頃のわたしは(今日はどんな風になるのかな?)と毎日落ち着けない日々だった。外出先でもいつ母から電話が来るのか分からず緊張しっぱなし。近頃はその電話だって母は怒ってかけて寄越す
「どこに行った?」
「こんな知らない場所に置いて行って(娘の自宅だと分からなくなっていた)」
「具合が悪い」
「食べ物がない」
など。
わたしだって怒鳴り返したい気持ちではあるけれど
(これは病気のせいなのだ)
と自分を納得させるしかなかった。
そんな母と同居してどの位経った時だったかな。
わたしは母にこれから先、寝たきりになったり、身体が不自由になって“延命治療”をする事になってもわたしはそれをしない、と告げた事がある。
意識もなく、ただ命を延ばすだけの処置にわたしは抵抗があるから、と伝えた。さすがに泣けた。
そして母も涙を浮かべて静かに聞いてくれていた。
それを伝えたのはわたしの同級生である友達のお母さんも50代前半でアルツハイマーを発症し、後に誤飲が原因で意識不明となり、その後は寝たきりになってしまった事を聞いていたから。
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アルツハイマー特有の症状で初対面の相手や他人にはとても気丈に接する事があると読んだことがある。母もまさにそれだった。
初めて我が家にケアマネージャーさんが来た時もお茶を出したり、積極的に会話をしたりした。同じ質問をすることもなく、ここだけを切り取れば母がアルツハイマーとは分からない位だった。
そんな母にわたしは唖然となり、ケアマネージャーさんに
「いつもの母はもう少し症状が違います」
と伝えるとケアマネージャーさんが帰り間際に
「分かります」
と言って下さった。アルツハイマー特有の行動でもある、と。
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母とわたし達の生活に波はあってもそれなりに過ごしていたと感じていたけれど、アルツハイマーである母は2面性を持っていて、わたしにはO氏の不満を、そしてO氏にはわたしへの不満を伝えていた。
だから、O氏は不満を抱える母をそんな娘と同居させておけないと思ったと思う。
そしてこの頃には母はおばにもわたしの悪口を言っていた(それはおばに教えてもらった)。
わたしはとても悲しかった。
言いたいことがあれば、わたしに言えばいいのに。
なんで隠れて悪口を言うのか…。
心がズタズタになった。
それでも、どうしようもなかった。
そんな母を見守り、話し相手になり通院させたり、デイケアに送り出したりしなくてはならなかった。
本当に本当に悲しくて辛い日々だった。