わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

母がアルツハイマーを発症してからの覚え書き

今年(10/15)保健センターのTさんから連絡があったのをきっかけに、母との今までの事を時系列にまとめてみた。

他にも思い出したりしたらその都度【追記】として記入していきたいと思う。

 

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〈2007年以前〉

○趣味のフラダンス教室で「踊りを覚えられない」などと言い始め、挙句には「面白くなくなってきた」などと言って辞める。(多分付いていけなくなって、その言い訳が「面白くない」だったと思う)

○この頃お付き合いしていたAさん(多分5年以上)が亡くなる(Aさんについては別の記事でまとめる)

 

〈2007年頃〉

○母と弟、そしてわたしたち家族の4人で海外旅行

機内で書類を記載する欄の事で隣りに座っている弟に何度も確認した(この事は大分後になってから弟に聞かされた)

○母と同居していた弟が母の異変を感じ病院へ(この時は“認知症”とは診断されない)

 

〈2009年頃〉

○母の姉の介護をいとこに頼まれたのを忘れる

(いとこからその旨の連絡があり、母の異変に気づく)

○仕事中、仕事場への「道順が分からない」と泣きながらわたしの携帯電話へ連絡あり

○出会い系の何か(詳細は知らない)で、O氏と出会う

○この頃には仕事も辞める

○同じものの買い置きが冷蔵庫内などに増える(弟談)

〈2011年10月(母62歳)〉

○仙台へ(我が家での同居スタート)

○病院で“認知症”(若年性アルツハイマー:軽度)と診断(HDSR、CT、採血)

○デイサービス(週2回)通所

アリセプト服用(5mg)盗られ妄想

認知症家族の会へ通う

〈同年12月〉

○O氏に連れ去られる

〈2012年1月〉

○O氏と入籍(その旨のFAXが届き、母の身の回りの荷物を指定した住所へ発送するよう指示あり。貴重品などは手元に残しそれ以外の荷物を発送)

〈2012年〉

○わたしの携帯電話、自宅の固定電話に母から脅迫めいた電話や怒りのメールが届くようになる(携帯電話は着信拒否の手配、固定電話は番号を変える)

このことによってわたしは母との一切の連絡を断つ

○弟にはこういった連絡が一切ない

〈2015年頃〉

○K県でいとこが働く飲食店で偶然再開(そのお店に何度か足を運んだ模様)

○引っ越すための“保証人”になって欲しいといとこ宅へ突然押しかけて来た事があった(2018年いとこから弟が聞かされる)

○2015/10/06

○夜(22:45頃)、夫の携帯電話へ警察から迷子になっている母を保護した、と電話あり。その後(午前1時頃)、警察からO氏に引渡した旨の連絡あり。