2011/12/28 スマホのメモより
スマートフォンのメモに下記の内容が保存されていたので、改めて投稿。
当時、これらの出来事をメモしておいてよかった。
記憶違いの点など再確認できた。
今まで投稿した日記と重複する内容ですが、わたしの当時の記録として改めて投稿します。
---------------
母
昭和24年生。
3年近く前(2008年頃)
「紹介所」のような所でO氏と出会う。
その後休みの度に互いの住まいを行き来、泊まったりするようになった。
それから、母が「認知症(アルツハイマー病)」と診断されても交際は続く。
母と同居していた弟(当時独身)にも「母と一緒になりたい」と言っていた。
しかし、母にはそのような気持ちがないようだった。
そんな状態でも休みになれば、2人で外出したり旅行にも行っていたようだ。
2011・9月24日
母は約1年振りに我が家へ弟とやって来る。
弟の仕事が忙しくなる事もあり、また母の認知症の症状が進行していた為、しばらくこちらで暮らす事になった。
10月29日
突然、O氏が我が家にやって来た。
母にはこちらに行く事を伝えていたらしいが、私には何も知らされていなかった(認知症の母から私への伝言はほぼ不可能)。
私には母の「面倒をみる」と言われたけれど、私は素直に賛成できる事ではなかったし、O氏が帰ってから、後日、母にO氏との事を聞いたら、「一緒に生活する気持ちはない」と2度言われた。(今思うとこの気持ちは私へ対する体裁を繕っていたのではないか?)
また、O氏にも直接、母との同居生活は現実的ではないし、母と一緒になる事をO氏のお子さん方はどう思っているのかと聞いた事もあったが、それに対する明確な返事はない(「任せて下さい」の一点張りで具体的な案は何も言われなかった)。
ほぼ毎日、母とO氏は電話やメールのやり取りはあったようだ。たまに電話口からO氏が声を荒らげる(多分母とのやり取りがうまく行かないこと〈忘れる事〉への苛立ちのようにも聞こえた)事があった。そんな時母は開き直っている様子。
11月下旬より、こちらでデイサービスを受ける事になった(その手続きに伴い住民票移動)。
12月24日
母とこちらで一泊すると言う話しで、O氏がやって来た。私は待ち合わせ場所へ母を送り、O氏に母をお願いした。
当初私にはこちらで一泊すると言う話しだったにも関わらず、同日夕方に私に何も連絡がないまま関東のO氏の家へ連れて行かれた。
夜に電話を掛けたが取り付く島もない状態で電話を切られる。
弟もO氏へ電話。
その電話で私へ25日に私へ電話するように言ったらしいが電話はなし。
12月25日
デイサービスに26日のサービスを休む旨の連絡。
12月26日
担当ケアマネージャーさんに今回の母の件を連絡、相談。
警察署に認知症の母の連れ去りの件を届け出。
認知症家族の会へ、電話相談。
母は1泊分の着替え(下着などのみ)しか持って行っていない。
服用しているアリセプトも持参していないので、服用できない。
20日に胃痛で受診した内科から処方された薬も服用できない。
家族の会の相談窓口よりO氏の住まうS区の民生委員に母の見守りを提案されたので、S区役所の相談窓口に母の見守りを依頼。
12月27日
S区役所の民生委員窓口の方よりO氏の家へ行った報告を受ける。
母には会えなかった事。
自分が母の面倒をみる、と言っていたこと。
年末の休みに入ったら私か弟に連絡をする、と言っていたこと。
保険証が無いので病院へ行けない、と言っていたこと。
12月26日
母からメール有り。
12月27日
O氏より保険証を郵送して欲しいとFAX有り。
S区のS郵便局に通帳の紛失届。
(母の通帳を預かっていた私がお金を下ろされないように郵便局へ行った時に発覚)
12月28日
午前中に母から電話(キーホルダーがない)有り。
夕方、母の携帯電話より荷物、保険証を送りましたか?とのメール有り(母の打つメールではない雰囲気)。
警察署に再度相談(通帳の件)
認知症家族の会へ相談。
法テラスに予約。
「成年後見人制度」
しか、母の財産その他を守り、管理する事はできないのか?
もし、これから先もO氏と一緒にいる場合、保険証などを預ける事の不安。