わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

日記回想(15)2011/12/12

これが母と我が家で同居していた約3ヶ月間の日記。

この後クリスマスイブの24日にO氏に私が騙され、母を連れ去られる事になる(このブログの2018/01/08の記事へつづく)。“連れ去られる”とは語弊があるかもしれないけれど、当時の私はそう思っていた。

 

******

 

『最近の母の状態をまとめておこう。

1、6~7時台に起床

2、起きてすぐに歯を磨く(認知症以前からの習慣)

3、洗濯物などを見つけると干してくれる

4、朝食(主にごはんと何か、焼き海苔だったり、塩辛だったり、納豆など)、そして食後のお茶(緑茶)

5、食後に薬を服用する〈アリセプト(5mg)〉

6、食器の片付け

7、洗濯物をたたんでくれたり、出来る“家事”をこなすか携帯電話のメールを読み返している

8、昼食(私がいる時は、適当な物を作って食べる。母一人のときは、実際に食べたのか食べていないのか確認のしようがない。食器など全てを片付けてしまっているために食べた痕跡が見られない)

9、お風呂の掃除(私がメモに書いていく事が多い、母へのお願いのひとつ。ただ、水を抜いただけで終わっている(洗い忘れている)だけの時も多々あるので、洗ったかどうか湯船を見て確認する)

10、夕ご飯の準備を手伝ってもらう(食器を並べたり、盛り付けをしたり。しかし、いつも“何人だっけ?”となる。大抵の夕食時間に夫はいないので“4人分”を用意すればいいのだが、そういったとっさの判断というか、“子ども二人と大人二人”という感覚が薄れてきているようだ)
「これは、誰の“はし”?」
「この茶碗は誰が使うの?」(我が家に決まりはない)
など毎回確認する。
「(何度か食べているおかずなのに)久しぶりに食べるから、おいしい~」と言う。まあ、料理下手な私にはうれしいオコトバ。

11、食器を洗ったり、、、(食洗機で洗うからいいよ、と言っても忘れてしまって洗ってしまったりする)

12、一息つき、入浴し、21時頃にはほぼ就寝。

元来、夜更かしをする母ではなかったが、この病気になってから、体力が消耗するのか(だろうね、いつもあちこち探し物して動いているもんね)発症前よりも睡眠時間が長くなったように思う。

この1~12までの日常の中で
「携帯、どこだっけ?」
「めがね、どこだっけ?」
という探し物が幾度となく繰り返され、そのつど、2階にある部屋までの階段を上り下りする。
そして、探している最中に他の何かに気を取られ、本来何をしていたのか忘れてしまう事も度々。
また、食器を洗うことなど、家事をこなす事を“リハビリ”などと言い“自分の為にしてるんだ”と言って過剰に手を動かしているようにも見える。
私にしてみれば、大変ありがたいのだけれど食器の収納先が統一されていないし、何かを片付けてしまった場合
「どこに行った?」
と聞いた所で、覚えている訳もない上に
「お母さんがこんな所に仕舞ったんでしょう!?」
と言えば
「そんな事してないよぉ!」
となる、、、(ノ_-;)ハア…

そして、そんな時のキメ台詞が
「だって、記憶にないモン!」
だ・・・。
そりゃ、そーだ。
そーゆー、ビョーキだもんね、、、。』