わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

日記回想(13)2011/12/10

この日の事は今でも鮮明に覚えている。

そして、この日から既に7年が経過している。

医師からの説明があった「発症してから約10年」という区切りをもう迎えようとしている。

先日聞かされた現在の母の様子は、全くこの通りなのではないか。

 

******

 

『12月7日。
先月から予約をしていた認知症専門の精神科Aに母と、そして夫にも付き添ってもらい行って来た。
事前に夫も一緒に行く事を伝えると母は少し驚き
「休みなのに悪いねぇ」
と言った。
私は
「私とお母さんだけだと、ちょっとヤバイから夫にも来てもらうんだよ(笑)」
とふざけ、母と笑った。


事前に取り寄せた母が弟と通院していた病院からの紹介状、そして保険証を忘れないように持ち家を出た。
車で30分もあれば着くという割りと近い病院。
何度も通った事がある道なのに、こんな病院(建物)があったなんて、全然気がつかなかった(苦笑)

この病院のウワサは聞いていたのだけれど、入り口を入って驚いた☆
ウワサ通り、“病院らしくない病院”だったからww
(細かい描写はあえて控えます)


そして、いざ診察。
先生と私たち3人一緒に簡単な口頭でのやりとりがあり(主にしゃべるのは私)、その後母は、CTスキャンと採血、HDSR(長谷川式簡易知能評価スケール)を別室で行った。

母がHDSRを行っている最中、先生がCTスキャンの画像を見ながら説明をしてくれた。

検査の結果、母は
「軽度のアルツハイマー
という事が分かった。

そして、2年前(母が初めて受診した頃)に同じような診察を行っているようだが(紹介状の内容にそう記載があった)、その頃の脳の状態とHDSRの結果はあまり変わらないのではないか?という事になった。
実際にHDSRの点数は2年前の物と今回の物は同点だった(!)。
これは、薬(アリセプト)の効果なのか、別なモノの効果なのかは分からないという。

ただ、気がかりな事は
「明らかに認知機能が低下している」
という事。
1年ぶりに会った母は、本当に“記憶”する事が困難になってきている。

でも、CTスキャンの画像やHDSRの結果は、あくまでも“軽度”であり、進行具合があまりみられないようだ。

1時間ほどで診察は終わり、今後も定期的に通院する事になった。


「2年前の脳の状態とあまり変わりがない」
という事にはほっとしたけれど、先生に“アルツハイマー”という病気の進行状態を聞かされた時は、言葉がでなかった。

アルツハイマーは、初期が3年くらい、中期が3年くらい、後期が3年くらい、という流れが大半です。後期の状態になると家族の顔も認識できなくなります」

じゃあ、お母さんは発症して2年になる。
もう初期の段階じゃなくなるの?

夫も驚いていたようだった。
アルツハイマーには“余命宣告”がある、という事を私も最近知ったのだが、こういう風に医師に言われると決定的だ。

母には、“認知症”という事は伝えているけれど、“アルツハイマー”とは言っていない。
どうやって、“告知”したらいいのか?
“告知”する事に意味はあるのか?

 

帰宅してから、腕に貼ってある採血後の小さな白いバンソウコウを見るたびに
「これ、なんだっけ?」
と言う母に検査を受け、病院に行った事を繰り返した。

「不治の病を告知する」
私自身なら、どうだろう。
そう自分に問いながら、でも心はどこか遠くへ行ってしまったような気持ちで一日を終えた。』