わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

日記回想(10)2011/12/02

『11月。
認知症を正しく知ろう」
という講話を聴きに言った時。

私は、会場で半数以上を占めている年齢層を見て驚いた。
それは、母と同じか、または母よりも年齢がやや上の方々だったからだ。
中には、私のような年齢の方もいたけど、それでも“ふたり”くらい(全体をチェックしてないけど)。
参加者は、20人から30人くらいだったろうか。

(そうか、世の“認知症”にかかる人は、70歳とか80歳代、いやそれ以上(?)の人たちでその娘さんや息子さんが来ているのかぁ、、、)
と自分の身の上が少し悲しく思えた。


ひと通り話しが終わり、質疑応答の時間になった。

一番に手を上げたのは、最前列に座っていたご夫婦の奥さま。
悪いけど私は、この方の質問内容をあまり覚えていない。
なぜならば、次に手を上げた70代と思われるおばあちゃんの質問が衝撃的だったからだ。

「家族に“ボケたんじゃないか?”と言われますが、何科に行ったらいいのですか?」

私は、本当に本当に驚いた。

なぜなら、母にはそんな“自覚”はないからだ。
母は、自分自身が“もの忘れ”をしていたり、昔の事を思い出せない、という事実を自覚していない。

私は母の事を考えながら
(おばあちゃん、大丈夫だよ。。。)
とそのおばあちゃんに言ってあげたい気持ちだった。
“自覚”があるならば、それほど大変な事態にはなっていないんじゃないの?


そして、会場に来ていた方々は私のような立場(すでに認知症の方を介護している)の方もいたかもしれないけれど、それ以上に“自分自身はどうなのだろう?”と思っている方が来ていたのか、と思うとものすごく寂しくなった。
本人が、そう思える、そう考えられる、だけで多分、問題ないんだと思ったから。


××××××

ある時、母に思い切って聞いた事がある。
「お母さん、今日一日の事を思い出せないって、どんな感じなの?」
母は、ちょっと考えてから
「ん~、そんな感じはないなぁ」
と。

「じゃあ、何か物事に対して“こうだったでしょ?”とか言われても分からないんだね!?」
「うん、完璧にこなしてる、って思ってるよ」
と母はいつもの口調で答えた。


母の中で
「ごはんを食べたこと」
「買い物に言ったこと」
「出かけたこと」
それらは、まるごとぜ~んぶ、なくなっているんだ。

もちろん、私や家族と笑いあったことも。
影も形もなくなってしまってるんだ。』