わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

日記回想(8)2011/11/21

今でも母が通所していた施設の送迎バスを見かける度に色々な事を思い出します。

 

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『“デイサービス”

「要支援・要介護の方を対象に、食事、入浴、レクリエーション、排泄、機能訓練を行う介護施設サービスのことを言います。自宅に閉じこもりがちな要介護者がデイサービスを利用することで、心身状態の維持や向上が図れる他、要介護者の家族の介護による心身の負担を軽減させることを目標としています」

だそうです。


今朝、8時40分過ぎ。
母が通うことになったデイサービスの迎えの車がやってきた。

××××××

昨日、施設で履く“上履き”を買いに行った。
なかなか気に入った物が見つからないのと、見つかっても
「何で買うの?」
(“靴”を買う目的=デイサービスに行くを覚えていない)
と、来る、、、ふぅ。

そんな買い物をして、準備をする。
持ち物は
「上靴・歯ブラシ・めがね」
くらい。
体が不自由になると“入浴”もできるのだけれど、それは受けない事にしている。

それらを準備していながら
母:「明日、何時に行くの?」
私:「8時40分くらい」
母:「え~!?そんなに早いのぉ?」
の会話を何度も繰り返す、、、。

でも、この“繰り返す”という事には意味があるらしく
「大切な事(人・物)が気になる」
という意識が働くようで、何度も聞いてしまう、と何かに書いてあった。

覚える事ができなくても、母は母なりに
「デイサービスに行くことが気になっている(緊張している)」
「忘れ物をしてはいけない」
などと思っているんだろう、と思う事にした。


そして、今朝。
母は、身支度を整え、食事を済ませ、迎えの車を待ち、出かけて行った。
迎えに来てくれたヘルパーさんは二人(うち一人は土曜日に会っていて、もう一人は見学の時に施設にいた若い元気のいいお姉ちゃん、だ)。
送迎の車にはすでに70代くらいのおばあちゃんが一人乗っていた。


次男の幼稚園バスの送迎を3年前に終え、今度は母を見送るようになるとは。
同じ“見送り”でも、印象は違う。


約ふた月ぶりにリビングは、夫と私だけになった。

慣れない我が家で戸惑っているような母を目の端で追わなくてもいいという開放感。
自分の事だけに集中できる自由。
自分のペースで動ける自由。

「めがね、どこ?」
「携帯、どこ?」
と言うような同じ質問、探し物に付き合わなくていい自由。

知らず知らずのうちに私は、ずいぶんと母に振り回されていたんだなぁ、と実感する。
たった、ふた月で。
今の母の状態、で。
私はそれなりに神経を遣っていたのか。
家族も同じだろう。

こんなんで、どーする!
これから先は長いのに。

今日は、母にメモを残さなくてもよくて、
(ごはん、食べてるかな?)
とかの心配もなくて、心は軽かった。

こんな風に思うのは、ヨクナイことでしょうか?
そんな風に私は、思いません。
どこかで心に折り合いをつけながら付き合っていくしかないのです。』