わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

日記回想 (7)2011/11/21

当時、息子が活動していた団体の保護者の中で“ケアマネージャー”をしている方がいて、その方にアドバイスしてもらったケアマネのIさん。落ち着いていて頼れる雰囲気の女性でした。

 

また、この時の日記からはまだ私がこの先母の介護で精神的にも追い詰められていくなんて微塵も感じられない。「くよくよせず、前向き」にという当時の私の気持ちが窺える。甘かったのだろうか。いや、でも何事も“初めて”があるのだから。

 

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『出産し、育児を始めた時。
今まで知らなかった世界を知った。
そして、母の事で私の経験値がまた増えるのだろう(苦笑)。

よっしゃ、かかってこーい!

“デイサービス”
今の世の中、カタカナのコトバが多くぱっと見、イメージが和らぐ、というか軽い印象をうける。

今の状態で母を自宅に置いておくのも不健康な気がして、“デイサービス”を受けた方がいいのではないかと思ったのだった。
でも、この時の私は“デイサービス”自体、よく理解もしていなかった。

しかも、“サービス”だよww
どんな“サービス”?

よくも分からないまま、私は知人のケアマネージャー(よく言う“ケアマネ”って、ヤツっす!“介護支援専門員”)さんに紹介された、開所して3年目という新しい施設の“介護老人保健施設”に母の事で問い合わせたのは、10月の初めだった。
母に聞かれたくないので、犬の散歩をしながら外から電話をかけた。

母の症状を話し、どうしたらいいのか相談するとそこの施設のケアマネージャーのIさんが
「一度、ご自宅にお邪魔します」
となった。

夫も休みの日。
そのケアマネージャーのIさんは我が家へやってきた。

あーー、何をどう話したのか、よく覚えていない。
今後のこととか、今の症状とか、だったかな。。。

でも、“初めて”母の病気を知っている専門家の方に来てもらい、私は少し安心した。
私も夫もまったくのド素人だから。

ケアマネさんが滞在していたのは1時間くらいだったと思う。
簡単な面談のような感じでその時間は終わった。
スッキリしたような、しないような感じだったけど、手探り真っ最中の私たちには何をどうしたらいいのか分からないのだから仕方がなかった事なのだ。

でも、“何もしていな状態”を少しだけ脱したような気持ちにはなった。
母の様子を日々目の当たりにして、“何もしていない”、“何もできない”と言っていられる場合ではない、と焦り始めていたからだ。』