喘息になった母
わたしが高校生位になった頃だったろうか。
元々体が丈夫ではない母が“喘息”になった。
どんな時に発作が起きたのか、何がきっかけなのか当時は“原因不明”であった。そして発作が起こると咳込みとても苦しそうである。
そんな母の状態を目の当たりにしても、父は何か手を打つという訳ではなく傍観しているだけだった。
元々父は体が母よりは丈夫で1年に一度くらい風邪で寝込む事があるかどうかという感じだったが、母は体の不調があったり、心労もあったのか時々寝込む事があった。
そんな母を見ても父は
「寝れば良くなる」
としか言わず、看病をするわけでもなく医者に連れていく訳でもなかった。
喘息になった母は町内にある唯一の病院へ通院するも改善される見込みがないと分かると、親戚に教えてもらった喘息の専門の病院へ車で片道1時間くらい掛けて出かけるようになっていた。
もちろん、そんな時も母は1人で運転して出かけていく。発作が起こって苦しくても父は何もしようもしなかった。
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その頃、父が“ハト”を飼育し始めていた。多分、いずれ鳩レースにでも参加しようと思っていたのかもしれない。
庭に大人が立って入れる程の高さで広さは畳にしたら2畳程の鳩専用の小屋も作った。そこに鳩が多い時で20羽前後いたと思う。
母の発作の原因が分からなかったけれど、母はその鳩の羽やホコリが原因の一つであると思ってしまった。再三父に鳩をやめて欲しいと訴えていたが、父は耳を貸さなかった。
ある日、祖母がたまたま来ていた時だったろうか。
何がきっかけだったのか覚えていないけれど、母は灯油の入ったポリタンクを持ち上げ、鳩の小屋へ灯油を掛けようとしていた。
母は物凄い形相だった。目は血走り、涙を流してポリタンクを抱えあげていた。
わたしは何が起こったのかとびっくりしたが、母を押さえて間一髪の所でポリタンクを取り上げた。
多分、祖母にも鳩の事を訴えていたようだったが取り合ってもらえず、限界になりそんな行動を起こしたと思う。
わたしも「こんなことしちゃダメだよ」と言ったが、母は泣きながら
「こんなに苦しんでいるのに、誰も何もしてくれない」
と言った。
わたしも高校生だったとは言え、もっと母に寄り添い父にもきちんと言うべきだったのかもしれない。しかし、当時はもう殆ど父と会話をする事もなくなっていて、父に何かを期待するという気持ちは皆無だった。
こんな風な生活を続けている母が理解できなかった。
母は、こんな父に毎朝お弁当をこしらえて持たせていた。
なんでそんな事をするんだろう?と当時も今も思っている。
父がいない時は父の悪口を言うのに、なぜ父のお弁当を作ったり、身の回りの事をしてやるんだろう?
わたしには理解できない事だった。
母の喘息は、発作が起こったら薬を吸入する事で治まった。ただ、いつ発作が起こるか分からない状態だったし、吸入器はいつも持ち歩くようになった。たばこを吸っていた母は、たばこも止めた。
そして、祖母に言われたのか、父は鳩も徐々に減らしていったように思う。
それでも母の喘息が完治する事はなかった。