わたしと家族

離婚した両親、それからのわたしについて思う事を整理する

小2の時のいじめについて

思い出すと本当に申し訳ない事をしたと思い、今でも傷付けたクラスメイトにはなんて謝ったらいいのか、と思っている。

 

それは小学校2年生の時の「いじめ」である。

 

わたしが両親の別居を経て、再び家族4人が一緒に暮らす事になった小学校2年生の時にひどいいじめをした。

 

それは友達数人のグループで「○○が気に食わない」等と言う理由から言葉を使って相手を傷付ける陰湿ないじめだった。

男女問わずそのような事を繰り返していて、それはクラスの問題になった。

とうとういじめていた一人の女子生徒が登校拒否を起こした。

ある日のホームルームのような時間だったのか、それとも担任が耐えかねてその為の時間を割いたのか定かではないがある授業の中で

 

「クラス内でいじめがある」

と言うような感じで始まったような気がする。そして

「いじめている人の名前を挙げて下さい」

と(ここまで露骨な言い方ではなかったと思うけど)。

他のクラスメイトは目配せをするように、そしてわたし達の顔色を伺うようにしながらおずおずと名前を挙げていった。

そして、数人の生徒の名前の中にわたしの名前もあがった。名前を呼ばれたら起立しなくてはならず、わたしも立ち上がった。

 

担任には、なぜそのような事をするのか、これからはしてはいけない、というような注意があったと思う。

 

後にその女子生徒は登校する事になった。

 

わたしはこの時の心境が自分の事なのに本当に分からなかった、それでも覚えている感情があってそれはとにかく“むしゃくしゃしていた”という事だ。

常に苛立っていてその苛立ちをクラスメイトに向けて発散していたと思う。

いじめる側はいじめる相手を本能的に探し出す。それは言い返して来ない相手だ。

わたしの鬱憤をクラスメイトの中でも大人しそうな相手にぶつけていた。

 

わたしは本当に最低だ。

 

 

言い訳になるけれど、大人になった今思う事がある。わたしはその当時、両親の別居や転校などを体験してとてもむしゃくしゃしていたんだと思う。当時のわたしは自分で言うのもおこがましいが「いい子」であった。

両親が別居する前は祖父の事で作文を書き、それを敬老の日に合わせて朝礼で発表する準備もしていた。何度も担任と手直しをしていた。

そんな矢先に母が

「転校します」

と伝えに学校へやってきた。

当時の担任は溌剌とした優しいきれいな女性の先生であったが、その先生が顔を曇らせて

「作文も頑張って仕上げていたのに、もったいない…」

と言葉を詰まらせていた事を記憶している。

わたしも残念であったけど、母が選んだ道に着いて行かないわけにはいかない。そんな事にわたしの作文なんて二の次だ。

 

転校先の学校でも、明るく過ごしていた。クラスに今で言う発達障害のような男子生徒がいた。その子は気に食わない事があるととにかく暴れた。担任の年配の先生もなだめるのが大変な生徒だった。だから、クラスメイトには避けられている存在だ。

わたしはその生徒にうまく接して、何とかやり取りできるように頑張った事もあった。その子は滑舌も良くなくて、何を言っているのか分からない事もあったけど、ゆっくり相手に合わせて会話をすれば、こちらの言いたいことも聞いてくれるし、理解もしてくれた。でも、いつもうまく行く訳ではなくて意思の疎通がうまくできずに暴れてしまうこともあった。暴れると近くにいる生徒の髪の毛を引っ張った。もちろんわたしも例外なく引っ張られて痛い思いをした。

 

わたしは傍から見れば「いい子」をしていた。

きっと母を心配させぬようにしていたのかもしれない。その無理なしわ寄せが2年生の時に「いじめ」となって現れたのではないかと思う。

 

だからと言って、いじめたことが許される事では決してないが、わたしは昨今のニュースで見聞きする「いじめ」の事件に「いじめる側の心の中も見てほしい」と思ってしまう。

 

いじめられた人達が「いじめた相手が来る同窓会なんて行きたくない」という思いがあると言うが、わたしも同じ気持ちでいる。過去にいじめたクラスメイトに合わせる顔がない。本当に申し訳なかった。